- 著者
-
山本 龍彦
- 出版者
- 関西学院大学
- 雑誌
- KGPS review : Kwansei Gakuin policy studies review
- 巻号頁・発行日
- vol.1, pp.35-44, 2002-03-31
本論考は,表象文化としての建築と建築写真が,我々の意識と社会に与えている影響を考察すると共に,その次代における,あるべき未来像について言及するものである。建築写真,いや写真とは恣意的にある時間における,ある空間を切り取って定着させた光の一状態である。だが我々は,その写真に真実性を感じてしまう。それは写真に内包された概念,つまり,ある時間のある空間に確かに,その写しだされたものが実際に存在しており,写真という言葉に表されるように真実を写し取ったと信じているからである。そして,その写真が印刷されて,雑誌や新聞などの様々なメディアを媒介として複製化されるときに,さらに我々はその写真への信頼性を増幅させることは,ブーアスティンの主張に見られる擬似イベント」の概念で,すでに指摘されている。建築も建築写真も表象された文化であり,その故に前者と後者に模写説的な認識関係は成立せず,共に時代と社会の暗黙裏の要請一限りなき経済成長という大衆消費社会の構造一によって操作可能な領域に包摂される。このような時代と社会の影響を反映した建築と建築写真の呪縛下に我々は存在しており,それは近現代の市民社会の価値観の影響下にあるということでもある。いま必要なことは,この建築と建築写真を表象文化として,その本質を解明して問題提起することによる近現代の価値観の超克である。それは,近現代の視覚芸術を支配している,遠近法というヒエラルキーを持った視点の解体であり,またそこから自ずと生起する,やさしい触感や,ある種のやすらぎを与える空間の形成,すなわち「癒し系の建築」や「バリアフリーな建築」と,従来の高度な撮影技法を駆使した作画的な建築写真にはない,新たな建築にふさわしい視座と技法から生まれる,建築写真への要請である。